<インドシナ半島+南アジア 自転車旅>準備編

そうだ、旅に出よう。自転車で。

しまなみ海道の標識

 

このブログは、日本を訪れるサイクリスト向けに、英語でも書いてる。

ridingacrossasia.com

 

なので記事によっては、日本に住む人にとっては全く無意味な内容が含まれてる。

例えばこの記事がそうだ。

 

しまなみ海道を(尾道から今治に向かって)走る時、覚えておくと便利な漢字が2つある。

今治】と【原付】だ。

 

前者は、Imabari、つまり四国側にある都市の名前。あなたの目的地。

後者は、A mini motorbike with an engine under 125cc、つまりしまなみ海道の一部を自転車と同じように通行できる小さなオートバイ。

 

なぜこの2つの漢字を覚えると便利かというと、行き先と通行区分を示すサインがしばしば漢字のみで表示されているからだ。

ほとんどのサインはバイリンガルだけど、

(ちなみに進路を示すサインは、たいてい事前(50m手前)と直前の2カ所にある)

 

たまに漢字だけのサインもある。でも【原付】が、小さなモーターバイクを示す漢字であることを知っていたら、このサインはサイクリスは不要であることが分かる。

このサインみたいに、いつもピクトグラムや英語の表記があればいいのだけど。

 

しまなみ海道サイクリングは、基本的に橋と、橋へのアプローチのみ、歩行者/自転車/小さなモーターバイクの専用道路があるが、それ以外の区間は自動車と道路を共有する。その際は、この画像のように水色のラインが左端に引かれている。日本は全ての道路で自転車も自動車も左側を走る。KEEP LEFT!

この画像の一番左は歩道。一部の歩道は自転車の通行も可能だけど、車道に水色のラインが引かれている場合、自転車は車道を走ることを推奨されている。でも例えば小さな子供や、車道を走ることが危険な場合、歩道を通行しても大丈夫。もちろん歩行者優先で。

 

僕は日本で生まれ育った日本人だから、当然日本のことは好きだし、誇りに思うところもたくさんある。

でも、街中の歩道と車道を縦横無尽に爆走する自転車のことはどうしても好きになれない。彼らは、歩く時と同じ感覚で自転車に乗るから、横断歩道にも突然現れる。横断歩道に減速なしで突っ込み、反対側の歩道に消えていく。

 

本来自転車は、車道を走るべきだ。でも彼らは、最短ルートを、気の向くまま走り抜ける。逆走も全く意に介さない。逆走してるサイクリストと対面すると、彼らは決まって右側を死守しようとする。彼らの右側は僕にとって左側、つまり、僕が走るべきサイドなので、僕も左側に寄ってやり過ごそうとするのだけど、対面する彼らが彼らの右側に是が非でも張り付こうとするから、仕方なく僕は僕の右側に寄って、逆走車に道を空けるとになる。道を譲ることに異存はないけど、結果、一時的とはいえ、僕も右側通行をする気分になり、釈然としない。

 

僕は日本と、オーストラリアNSW州の自動車とオートバイのライセンスを持っている。

どちらも右側通行で、交通ルールもほとんど同じだ。信号機のない交差点(ラウンドアバウト)がオーストラリアにはたくさんあるけど日本にはあまりないこと、逆に自転車が走れない道路や区間が、オーストラリアにはあまにないけど日本にはたくさんあること、以外両者の違いに気がつくことはあまりない。

 

でも、たとえルールが同じでもマナーは結構違ったりする。

1番の違いは、横断歩道を渡ろうとする歩行者への配慮の仕方だ。

シドニーで、信号機のない横断歩道を渡ろうとする歩行者を無視して車が先に進んでしまうことはまずない。少なくとも僕は一度も見たことがない。だから歩行者は、信号機のない横断歩道を渡る時、車が止まってくれるのを確認しなくても横断歩道を安全に渡ることができる。

だけど日本では、とても残念だけど、歩行者を横断歩道の端に立たせたまま、悠然と車が走っていく。我が物顔で。ルールはもちろん、車が止まって歩行者を先に渡らせることになっているけど、7、8割のドライバー(私個人の感覚です)はこのルールを無かったことにしている。

 

社会のルールや行動規範に忠実とされている日本人が、なぜ交通ルールと歩行者の権利を無視して、自分の都合を優先させるのかについての僕なりの回答は、多分自分以外の多くのドライバーが歩行者を無視して自分が先に行くから。だから自分もそれに倣い、横断歩道脇に佇む可哀想な歩行者を見なかったことにして自分も走行を続ける。

 

ちなみに僕は、周囲の空気より自分の判断に固執しがちな性格なので、自分が乗る車両が自動車であれ、オートバイであれ、自転車であれ、信号機のない横断歩道に佇む歩行者を見つけたら絶対に彼らを先に行かせる。後ろに大きなダンプカーいたとしても。自分が盾になって歩行者を先に渡らせる。